
クトゥルフ神話
金星の密林で、晶体会社の探鉱員ケントン・J・スタンフィールドは探知器の示すままに巨大な結晶へ辿り着くが、そこで見えない壁だけで組み上げられた迷宮に迷い込む。水も酸素も尽きるなか、彼は人間が獣と見なしていた金星の住民が、この罠を仕掛けた真の知性であると悟る。
晶体会社の探鉱員ケントン・J・スタンフィールドは、金星基地テラ・ノヴァを発って南方の密林へ向かい、高エネルギーの結晶を探した。湿ったつる植物、捕食植物、幻覚を起こす花々を抜けた末、彼はエリュクス高地で異様に巨大な結晶と、そのそばに倒れた探鉱員の死体を見つける。 結晶を手に入れようとした彼は、まず見えない壁に阻まれる。壁の切れ目を探して内部へ入ると、透明な隔壁だけでできた円形の構造物に行き着き、死体の手から結晶を奪う。だが引き返そうとして、自分が複雑きわまる無形の通路に閉じ込められていることを知る。壁には印を付けられず、刃も火炎銃も掘削も通らない。彼は記録巻に進路を書き留めながら、手探りで歩くしかなかった。 水と酸素が減るにつれ、迷宮の外には金星の住民が集まりはじめ、静かに彼の苦闘を見守る。スタンフィールドはそこで初めて、人間から低い爬虫類と侮られてきた彼らが、言葉も知恵も、そして人間をはるかに上回る材料技術も持つ存在だと認めざるをえなくなる。結晶は餌であり、迷宮は略奪者を捕えるための罠だったのである。数日後、彼は出口まで二十数フィートの地点で息絶え、最後の記録に、人類は金星の結晶を諦めるべきだと記した。 捜索隊は死体と記録を回収して迷宮の実在を確かめたが、その警告は受け入れなかった。会社は結晶を持ち去り、迷宮を爆破し、さらに住民を掃討するため軍を送ろうとする。スタンフィールドが死の間際に得た理解は何ひとつ変えず、ただ次の略奪のための資料となった。
この記録はケントン・J・スタンフィールドの手になる。
彼は金星暦六月九日にテラ・ノヴァへ着き、晶体会社のミラー主管が率いる探鉱隊に配属された。二日かけて革製の防護服、火炎銃、結晶探知器、重いカート式酸素マスクを受け取り、金星の短い昼夜に合わせて時計も調整した。そして第十二日の朝、彼はたった一人で基地を出発し、アンダーソンが空から示した南方のルートをたどって密林へ入った。
大雨は上がったばかりで、濡れたつる植物は革のようにしなった。スタンフィールドは何度も刃を振るい、十数分かけて絡みつく枝葉を切り開かなければならなかった。泥は靴底を覆い、酸素マスクの重みが肩を引き下げる。地球よりはるかに骨の折れる歩みだったが、彼は手ぶらで戻るつもりはなかった。探知器の針はずっと前方を指しつづけており、その先に強大なエネルギーを秘めた結晶があることを示していた。
結晶こそ、地球人が金星へ来た理由だった。地球では莫大な価値を持つエネルギーの貯蔵体だが、金星の住民にとっては守り、礼拝すべき聖なるものらしい。スタンフィールドにはその畏れが理解できなかった。彼は胸から触手を垂らした背の高い緑の生物たちを「人型のトカゲ」と呼び、塔を築き、毒針を放ち、待ち伏せするだけの存在だと思い込んでいた。記録には、地球から二十隻の輸送船を送れば、採掘の邪魔になる連中など片づけられるとも書いている。
その日の正午、毒針がヘルメットの横をかすめた。三体の住民が密林の色に紛れてにじり寄ってきたが、彼は火炎銃を構え、泥の上に焼き倒してなおも進んだ。さらに奥では、捕食植物が靴を噛みつき、細長い生き物が泥の中でもがき、斑点のある蜃気楼めいた植物が空へ気体を吐いた。花々は一瞬で青白く変わり、音もない鼓動に合わせて光の点が回転し、温度まで呼吸しているようだった。目を閉じ耳をふさいでも幻覚は消えず、彼は花畑から離れる方向へむやみに斬りつけるしかなかった。やがて世界はようやく落ち着きを取り戻した。
午後五時、彼はついに密林を抜け、開けた高地へ出た。地図ではエリュクス、またはエリュクス高地と記されている場所だった。遠くの霧の中、平原の中央に冷たい白光がひとつ凝っている。探知器の針は激しく震え、今にも折れそうに見えた。
スタンフィールドは、そこに稀な巨大結晶があると悟った。
彼は周囲も確かめず、薄い泥を踏みながらその白光へ走った。百ヤードほどの距離になったとき、突然、石壁にぶつかったかのように弾き返される。胸と指節に激痛が走り、そのまま泥へ仰向けに倒れた。
だが、目の前には何もない。
立ち上がると、小刀を前に伸ばしながら慎重に数歩進んだ。刃先はすぐに硬いものに触れる。手袋越しに確かめ、さらに外して確かめると、それは冷たく滑らかで、ガラスか金属のようだった。けれど完全に透明で、光も反射せず、背後の景色も歪めない。壁は左右へ延び、上方もどこまで続くのか見当がつかなかった。
スタンフィールドは刃で叩き、靴で蹴り、泥団子を投げつけた。泥は表面で広がって落ちるだけだったが、二十フィートほどの高さまで投げ上げた泥だけは、ついに壁の向こうへ越えた。つまり障壁は無限ではないが、手で攀じ登るには高すぎるということだ。
彼は壁に沿って左へ歩き、形を確かめようとした。しばらくして、白光の下で盛り上がっているものが土塁ではなく、会社の革衣を着た死体だと見抜く。男は壁の内側で仰向けに倒れ、酸素マスクは数フィート先に落ち、右手は拳ほどの大きさの楕円形の結晶を胸に押しつけたままだった。スタンフィールドは、それが二か月前に行方不明になった探鉱員、フレデリック・N・ドワイトだろうと気づいた。
さらに壁を探ると、突然、三フィート幅ほどの空間に手が抜けた。入口には扉も蝶番もない。彼はそこをくぐり、見えない回廊をたどって死体のそばへ行った。ドワイトに外傷はなく、だがマスクは外れていた。絶望のあまり自ら外し、有毒な金星の大気で長い苦しみを終えたのかもしれない。
スタンフィールドは、冷たく固まった指をこじ開けて結晶を自分のポケットに収め、ついで安全帽でその見開いた目を覆った。来た道を戻ることもできたはずだが、このありえない建造物が彼の好奇心を掻き立てた。人類が金星に到達してから七十年ほどしか経っていないのに、継ぎ目も影もなく、屈折も起こさない素材を作れるはずがない。もしこの建物が金星の住民のものなら、彼が野獣と見なしていた相手は、人間の理解を超えた技術を持つことになる。そうでないなら、いったい誰がここへ置いたのか。
彼は、中をもう一度見てみることにした。
スタンフィールドは両手を伸ばし、盲人のように回廊を進んだ。通路はまず曲がり、やがてゆるやかに内側へ巻き込む。その途中で、また新しい岐路が次々に分かれた。二手しかない分岐もあれば、三つ四つに枝分かれする場所もある。彼はつねに、中心により近そうな方を選んだ末、直径およそ十フィートの円形の空地へたどり着いた。
そこには屋根がなく、六本の見えない通路が外へ伸びていた。死体と遠くの木々の位置から判断すると、そのうち一本が来た道だった。日は傾き始めていたが、泥の中で夜を明かしたくはない。彼はその道を戻った。
だが、死体の近くへ戻ったと思った瞬間、また別の壁に手をぶつけた。どうやら、入口と平行に走る袋小路へ入ってしまったらしい。
彼は中央の空地へ引き返し、別の通路を選んだ。すると今度は、さらに遠い場所へ回り込んでしまう。もう一度試しても同じだった。透明な壁は影を落とさず、地面の濁った泥は足跡をすぐ消してしまう。鋼筆も刃も泥塊も、壁に印を残せない。夜が降りるころには、唯一の目印だった死体さえ見えなくなった。スタンフィールドはやむなく中央へ戻り、泥の上に横になって夜を過ごした。
翌日、彼は安全帽をある入口の前に置き、耐腐食性の記録巻に曲がり角のたび記しつけた。六本の通路を順に確かめたが、どこかで必ず方向を失う。死体に手が届くほど近づいたかと思えば、次の一歩で冷たい壁にぶつかる。外へ向かっているつもりでも、いつのまにか中央へ戻っていた。
彼は壁の下を掘って逃げ出そうとした。表面の泥は数インチしかないが、その下は次第に硬い灰色の粘土になる。三フィート掘ったところで、小刀はもう歯が立たず、それでも壁の基礎には届かなかった。火炎銃も試したが、炎は見えない表面に沿って散るだけで、傷ひとつ残さない。
掘削と徘徊で、酸素は大きく減った。彼が少し休んで、また手探りを始めようとしたとき、森の縁に四、五人の金星住民が現れた。やがて十数体、さらに何十体もの緑の姿が霧の中から出てきて、迷宮の外周を取り囲んだ。
彼らは攻撃してこない。
ただ壁の外に立ち、胸の触手を絶えず動かしながら何かを伝え合っている。スタンフィールドを指さす者もいれば、彼が壁にぶつかる仕草や拳を振るう様子を真似る者もいた。さらに多くの住民が森から来ては、去る仲間と交代する。まるで、ここで起きていることを皆が知っていて、ただ獲物だけが知らない儀式が行われているかのようだった。
そのとき、スタンフィールドはようやく理解した。
これは遺跡でも、偶然できた奇妙な地形でもない。今も使われている罠なのだ。住民たちは見えない迷宮を作り、結晶を餌にして、探知器を信じる地球人を誘い込む。ドワイトは先の獲物で、彼は次の獲物だった。
さらに耐えがたいのは、彼がついに、住民たちが触手で会話し、人間には再現できない材料と建築技術を持っていると認めざるをえなかったことだ。彼らは宝物を守る無知な獣ではない。状況を見誤っていたのは、武器と欲望を抱えて金星へ来た人間のほうだった。
真相を悟ったあと、スタンフィールドは一時、正気を失った。彼は見えない回廊を狂ったように走り、次々に壁へぶつかって、顔を血だらけにしたまま泥へ倒れ込んだ。外の住民は触手を揺らし、何体かは彼の拳を振るう仕草まで真似た。彼にはそれが嘲笑に思えたし、実際そうだったのかもしれない。
だが彼はすぐに、自分を奮い立たせた。ドワイトの死体は入口近くにある。ということは、出口が存在しないわけではない。分岐をすべて記録できれば、必ず外へ出られるはずだった。
第十三日が過ぎても、出口は見つからなかった。水筒はほとんど空になり、酸素生成用の塩素酸塩も残り少ない。第十四日の正午、彼は最後の水を飲み干し、午後の豪雨で安全帽にわずかな雨水を受けて、ようやくその夜をしのいだ。食料片は命をつなぐが、渇きまでは癒せない。酸素を節約するため、彼は速く歩くこともできず、泥の上に伏せて一寸ずつ進むしかなかった。
ドワイトの死体は目の前で急速に崩れていった。虫が黒い雲のように集まり、泥の小獣や腐食する植物が革衣と肉を剥いでいく。三日目には、そこに残っていたのは蔓に絡まった白骨だけだった。薄暗い光の中で歯が白く見え、急げと促しているようですらあった。
スタンフィールドの記録は次第に乱れた。金属巻には曲がり角の線がびっしりと描かれ、互いに矛盾する箇所も多い。ここでは視覚が役に立たないばかりか、かえって人を欺く。壁は透明で、通路も透明で、遠くの骨や木々は道しるべになるどころか、隣り合う入口をどれも同じに見せてしまうのだ。
第十五日の午後、彼はついに一度も通っていない通路を見つけた。その道は螺旋を描きながら、彼をドワイトの骸骨へ近づけていく。住民たちは外壁の入口付近へ集まり、跳ねるように動いて触手を忙しなく振っていた。スタンフィールドは、これから起きる戦いに備えて集まっているのだと思った。彼は火炎銃を握りしめ、泥に伏したまま進み、外へ出た瞬間に路を焼き開くつもりでいた。
骸骨まで、あと数ヤードだった。
彼は前へ這った。だが額はまた壁にぶつかる。
そこも、やはり袋小路だった。
三日かけた探索は出口に近づけるどころか、彼を最初の絶望へ戻しただけだった。スタンフィールドは最後の酸素材を装填し、さらに数フィート這ったが、やはり行き止まりだった。もう新星地へ戻るだけの水も、空気も、体力も残っていない。
外の住民はなお入口のそばにいた。そこで彼はようやく、彼らがただ嘲っていただけではないのかもしれないと、ぼんやり思い当たる。あの動きは案内だったのではないか。入口に集まっていたのは、出口の位置を彼に見せようとしていたのではないか。だが彼は弱りきって、もはや判断できなかった。試し直す力もない。
死の間際、スタンフィールドは残りを巻物に書きつけた。
彼は後から来る者に、どうかこの結晶を奪い合わないでほしいと訴える。地球にはほかにもエネルギー源があるのに、金星の住民にとって結晶は自分たちの世界に属するものなのだ。人間は富を求めて彼らの土地へ踏み込み、守る者を殺し、密林を切り裂き、それへの抵抗を野蛮と呼ぶ。ドワイトも彼も、そのために命を払った。もし略奪が続くなら、散発的な死は、もっと大きな災厄の前触れにすぎないだろう。
最後には、人間が本質的に住民より上だという考えさえ捨てている。宇宙の尺度で見たとき、いったいどちらが文明に近いのか。見えない迷宮を築き、自分たちの世界を守るすべを知る金星の生命か。それとも、火炎銃を手に聖なるものを奪いに来る地球人か。
彼の筆跡は次第に崩れ、短い断片だけが残る。夜が来た、住民たちが緑の松明を灯した、まだ入口の近くにいる、空の中で何かが鳴っている気がする。
第十六日、ウェズリー・P・ミラーの派遣した捜索隊がエリュクス高地へ到着した。偵察機が低空を飛ぶ際に片翼を損ね、隊員が降りて手探りで進んだことで、彼らはこの見えない建造物を発見する。まずドワイトの骸骨を見つけ、さらに別の通路で、死んで間もないスタンフィールドを発見した。記録巻はなお彼の左手に握られ、巨大結晶は泥の下に埋もれていたが、探知器はその位置を正確に示した。
捜索隊は綱を持って迷宮へ入り、ほどなく完全な経路図を作り上げた。そのとき初めて、スタンフィールドが死んだ場所から出口は二十二、三フィートしか離れていなかったと知る。ひとつ入口を戻り、右手の通路を少し進むだけで出られたのだ。外に集まっていた住民たちは、もしかするとずっとそれを知っていたのかもしれない。
隊員たちは巻物を読み、迷宮についての彼の記述の大部分が正確であることも確かめた。
だが会社は、彼の願いを受け入れなかった。
ミラーは報告書の末尾に、ドワイトとスタンフィールドを会社の墓地に葬り、巨大結晶はシカゴへ運ぶと書いた。救援隊は掘削機と爆薬で迷宮を破壊し、無形素材を分析し、その知識を住民の都市への攻撃に役立てるだろう。会社が十分な軍を呼び寄せ、高地と密林の抵抗者を一掃すれば、さらに多くの結晶を採掘できる。
スタンフィールドは、最後の正気を振り絞って警告を書いた。自分の死が後続の者たちを思いとどまらせるよう願って。
だが会社は、それをただの探鉱報告書として読んだにすぎなかった。