
ギリシア神話
ギリシア勢は十年ものあいだトロイアを攻め続けながら、ついに城壁を破れなかった。そこで巨大な木馬を造り、その腹の中に勇士たちを潜ませ、撤退したように見せかける。トロイア人がその木馬を城内へ引き入れた夜、城門は内側から開かれ、トロイアは炎の中に落ちた。
トロイア戦争が十年目に入るころ、ヘクトル、アキレウス、大アイアースをはじめ多くの英雄が倒れていた。それでもトロイアの城壁はなお立っている。ギリシア勢は、槍と盾だけで攻め続ければ、海辺でさらに多くの命を失うだけだと悟った。そこでオデュッセウスは、巨大な木馬を造り、選ばれた勇士をその中に隠し、残りの軍勢は撤退したふりをするという策を出した。 工匠エペイオスは中が空洞のトロイアの木馬を造り、オデュッセウス、メネラオス、ディオメデス、ネオプトレモスら武装した者たちがその腹へ入った。ついでギリシア人は陣営を焼き、船を海へ出したが、実際にはテネドス島の陰に隠れて夜を待った。彼らはまたシノンを残し、その嘘で計略を仕上げさせた。 夜明け、海岸が空になっているのを見たトロイア人は、十年の包囲がついに終わったと思い、木馬のまわりに集まって処置を論じた。シノンはギリシア人に捨てられた者を装い、木馬はアテナへの供物であり、町に入れれば女神の加護がトロイアへ移ると語った。その嘘は、勝利と神の守りを求める人々の心にぴたりとはまった。 祭司ラオコーンはギリシア人の贈り物を信じず、槍を木馬へ投げつけ、空洞の腹から鈍い響きを起こさせた。だが海から二匹の大蛇が現れ、ラオコーンとその息子たちを締め殺すと、トロイア人はそれを女神が彼を罰したしるしだと受け取った。カッサンドラも木馬の中の災いを予言したが、いつものように誰も信じなかった。 トロイア人は木馬を町の中へ引き入れ、酒を飲んで祝宴を開き、夜が更けると眠り込んだ。シノンが合図を送り、馬腹の中のギリシア勇士たちは静かに降り立ち、島の陰に隠れていた艦隊も闇にまぎれて戻ってくる。十年の強攻に耐えた城壁は、贈り物と思われた木の罠を防げず、トロイア最後の夜が始まった。
トロイアの城外には、十年ものあいだ海風が吹きつけていた。
ギリシア勢の船は、もはや初めてやって来たころのように整然と輝いてはいなかった。船腹は潮にさらされて白く荒れ、綱はあちこち擦り切れ、陣営の杭は幾度も打ち直され、また引き抜かれていた。地面には車輪の跡、灰、古い塹壕が残り、アガメムノンに従って海を渡ってきた若者たちの多くは、すでにスカマンドロス川のほとりの塵の中に倒れていた。
それでもトロイアの都は立っていた。
高い城壁は、幾度となく押し寄せる突撃を退けた。ヘクトルは死に、アキレウスも死に、大アイアスももはやいない。名高い英雄たちの多くが土の下の墓となった。それでも城門は閉ざされたままで、プリアモス王の都では人々がなお火を焚いて食事を作り、神殿の前で供え物を捧げ、城楼に上って海辺を眺め、ギリシア人がいつになれば退くのかと見守っていた。
ギリシアの将たちも、心のどこかで知っていた。このまま戦い続けても、勝利が得られるとは限らない。ただ十年の苦しみが、さらに長い苦しみへ延びていくだけかもしれない。
そのとき、オデュッセウスが一つの策を出した。
彼はギリシア軍で最も力の強い男ではなかった。突撃のとき、最もまばゆく目立つ英雄でもなかった。けれど彼は、待つことを知り、隠れることを知り、言葉を操ることを知っていた。そして敵の心がどう動くかを計算することもできた。彼は諸将に言った。トロイアの城壁を外から破るのが難しいなら、トロイア人自身に災いを城の中へ招き入れさせればよい、と。
それを聞いた者たちは、しばらく黙り込んだ。やがてうなずく者もいれば、眉をひそめる者もいた。あまりに危うい策だと思う者もいた。だが、彼らにはもう多くの選択肢が残されていなかった。
ギリシア人は木材を集め、工匠エペイオスに仕事を命じた。木は鋸で切られ、鉋でならされ、釘で組まれていった。陣営には幾日も斧と鑿の音が響いた。兵士たちは太い梁を運び寄せた。それは小屋を建てるようでもあり、水に浮かばぬ船を造るようでもあった。
やがて、巨大な木馬が陣営の中央にそびえ立った。
四本の脚は高く太く、腹の中は広く空洞になっていて、人を隠すことができた。幾重にも重ねられた板が内側の暗がりを覆い、外から見れば、それは神々へ捧げられた大きな贈り物にしか見えなかった。これはアテナに捧げるものだ、と言われた。もしトロイア人が木馬を城外に置いたままにすれば、ギリシア人はいつか女神の加護を取り戻せるかもしれない。だがもし城内へ引き入れれば、トロイア人は災いを自らの門の内へ引き込むことになる。
木馬の腹に潜む者を選ぶとき、陣営には笑い声がなかった。
それは普通の伏兵ではない。もし見つかれば、逃げ場はどこにもない。木の中で焼き殺されるか、槍で一本ずつ突き刺されるしかない。それでも名乗り出る者たちがいた。オデュッセウス、メネラオス、ディオメデス、ネオプトレモス、そしてほかの勇士たちは、短剣と槍を携えて馬の腹へもぐり込んだ。盾を体のそばに押しつける者もいれば、息をできるだけ殺す者もいた。板が閉じられると、中はたちまち暗くなり、木の隙間から差すわずかな光だけが残った。
外では、ギリシア人たちが次の手に取りかかっていた。
彼らは天幕を焼き、杭を抜き、船を海へ引き下ろした。浜辺には煙が立ちのぼり、まるで一つの町が捨てられたかのようだった。夕暮れになると、帆が次々に張られ、ギリシア艦隊はトロイアの浜を離れた。だが実際には遠くへ去ったのではない。彼らは近くのテネドス島の陰へ回り込み、夜と炎が帰還の機会を与えるのを待ったのである。
彼らは、もう一人だけを残していった。
その男の名はシノンといった。衣は破れ、手足には縛られていたような跡があり、顔には恐怖と疲労がにじんでいた。彼がしなければならないことは、剣を振るうよりも危険だった。敵のただ中へ入り、城門を開かせるほどの嘘を語るのである。
翌朝、トロイア人は海辺を見て、言葉を失った。
かつてびっしり並んでいた船は消え、ギリシアの陣営は空になっていた。残っているのは黒く焼けた杭、まだ冷えきらぬ灰、そしてあの巨大な木馬だけだった。海は静かで、遠くにも帆影は見えない。十年ものあいだ包囲されていた都から、突然、歓声が湧き上がった。人々は城門を開き、かつての戦場へ駆け出した。ギリシア人の壊れた鍋を蹴飛ばす者もいれば、古い陣地の土盛りを踏んで笑う者もいた。膝をついて神々に感謝し、長かった苦しみがついに終わったのだと思う者もいた。
人々は木馬を取り囲み、見上げた。
それはあまりにも大きく、木の肋には削ったばかりの跡が残っていた。板に手を触れる者、馬の脚のまわりを歩き回る者、割ってみて中に何かないか調べるべきだと言う者がいた。一方で、これはギリシア人が女神に捧げた贈り物なのだから、傷つければ神の怒りを招くと言う者もいた。
議論がまとまらぬそのとき、トロイア人はシノンを捕らえた。
彼は遠くまで逃げていなかった。まるで味方に浜辺へ置き去りにされた者のように見えた。兵士たちは彼をプリアモス王と群衆の前へ引きずってきた。槍の穂先を突きつけ、なぜここに残っているのかと問いただした。
シノンは泣きながら命乞いをした。自分ももとはギリシア軍の一員だったが、オデュッセウスの怒りを買ったのだ、と彼は言った。ギリシア人は故郷へ帰ろうとしたが、風が順まなかった。祭司は、神の怒りを鎮めるにはギリシア人一人の命が必要だと告げた。そこでオデュッセウスは彼を差し出し、犠牲にしようとした。夜のうちに彼は縄をほどき、葦と泥水の中に身を隠して、ようやく死を逃れたのだという。
トロイア人の怒りは、聞いているうちに少しずつ好奇心へ変わっていった。
年老いたプリアモスは情け深かった。しかもその男が、自分もまたオデュッセウスに害されたのだと言うのを聞き、縛めを解くよう命じた。そして、あの木馬はいったい何なのかと尋ねた。
シノンが待っていたのは、まさにその言葉だった。
彼はうつむいたまま語った。かつてギリシア人はトロイアの聖なる護符を盗み、アテナの怒りを招いた。女神の機嫌を取り戻すために、彼らは償いとしてこの木馬を造ったのだ。わざとこれほど高く大きくしたのは、トロイア人が城内へ引き入れられないようにするためだった。もし木馬が城外に残れば、ギリシア人はいつか戻って来ることができる。だが木馬がトロイアの中へ入れば、女神の加護はトロイア人の側へ移り、ギリシア人は二度とこの都を攻め落とせなくなる、と。
その言葉は、水のように人々の間へ染み込んでいった。
十年の疲れ、勝利の喜び、神々への畏れが、その瞬間、一つに集まった。多くの者が、木馬は危険ではなく戦利品であり、神々の送ったしるしなのだと信じはじめた。
しかし、誰もが信じたわけではなかった。
祭司ラオコーンが都から駆けつけてきた。人々が木馬を取り囲み、シノンの言葉に耳を傾けているのを見ると、彼の顔色はたちまち変わった。彼は大声でトロイア人に忠告した。ギリシア人の贈り物など信じてはならない。たとえ彼らが退いたとしても、よいものを簡単に残していくはずがない。彼らは策を弄することに長けている。ましてオデュッセウスがいるのなら、木の中にさえ災いが潜んでいるかもしれない、と。
人々の目を覚まさせようとして、ラオコーンは槍を高く掲げ、力の限り木馬へ投げつけた。
槍は木の腹に突き刺さり、板は震え、内側から鈍い音が響いた。馬の腹に潜んでいたギリシアの勇士たちは、恐ろしくて身じろぎ一つできなかった。剣の柄を握りしめる者、息を止める者、咳さえ必死に呑み込む者がいた。
群衆は一瞬、静まり返った。
もし彼らがもう少し耳を澄ませていれば、木板の向こうの異変に気づいたかもしれない。だが運命は、そのような冷静さを彼らに与えなかった。
まもなく、海辺から悲鳴が上がった。二匹の巨大な蛇が波の中から泳ぎ出て、頭をもたげ、鱗を水の光にきらめかせていた。蛇たちは岸へ躍り上がると、ラオコーンと二人の息子のもとへ一直線に向かった。子どもたちは逃げようとしたが、蛇はすでに体に巻きついていた。ラオコーンは武器をつかんで助けようとした。すると蛇は彼にも絡みついた。父と子は祭壇のそばでもがき、叫び声はしだいに弱くなった。やがて蛇たちは彼らの亡骸を離れ、アテナの神像の近くへと這い込んでいった。
トロイア人は恐怖に震えた。
彼らは、ラオコーンがつい先ほど何を警告したかを忘れてしまった。ただ、木馬を冒瀆したために神々が彼を罰したのだと思った。こうしてシノンの言葉はいっそう真実らしく見えた。人々は口々に、木馬は城へ入れなければならない、外に置いて辱めてはならないと言いはじめた。
それでも、なお信じようとしない者が一人いた。
カッサンドラは群衆の中に立ち、青ざめていた。彼女は以前から恐ろしい運命を背負っていた。真実を語ることはできるのに、誰にも信じてもらえないのである。彼女はその木馬を見つめ、まるで夜に燃え上がる大火を見ているかのようだった。彼女は叫び、止めるように訴えた。木馬の腹には剣を持つ男たちが隠れている。城門を開けば、トロイアは終わるのだ、と。
だが歓声が彼女の声を呑み込んだ。
彼女はいつも不吉なことばかり言う、と言う者がいた。彼女を引き離す者がいた。聞く耳を持たぬ者もいた。勝利が目の前にあるとき、滅びの言葉を聞きたい者など誰がいるだろう。
トロイア人は、この巨大なものを通すために城壁の一部を崩したとも、城門を広げたとも伝えられる。縄が木馬の体にかけられ、多くの人々が一斉に引いた。車輪と木梁が地面できしみを上げた。木馬はあまりに高く、何度も引っかかった。そのたびに人々は叫び、押し、幸運をもたらす神輿でも運ぶように力を尽くした。
都の通りは人であふれた。
女たちは子を抱いて見物に出て、老人たちは杖をついて戸口に立ち、若者たちは木馬に花冠を掛けた。歌う者がいた。杯を掲げる者がいた。神殿の前で供え物を捧げる者もいた。十年の恐怖がひとたびほどけると、喜びは激しく押し寄せた。トロイア人は木馬を都の中に据え、それを勝利のしるしとした。
夜が下りても、都の騒ぎは続いた。
酒甕が次々に開かれ、松明の火は街角から神殿の前まで燃えていた。多くの者が酔いつぶれ、柱のそばにもたれて眠った。城を守る兵士たちの警戒もゆるんだ。逃げ去った敵を、いまさら誰が恐れるだろう。海岸は空で、船影もなく、都の中には女神の木馬があるのだから。
木馬の腹の中では、ギリシアの勇士たちが体をこわばらせて待っていた。
昼のあいだトロイア人が木馬を引いたとき、板は揺れ、縄はきしみ、外の叫び声の一つ一つが彼らを露見させるかのようだった。夜になると、蒸し暑さと木屑の匂いが体に重くのしかかった。彼らは都の歌声が少しずつ低くなるのを聞いた。酔漢の笑い声がいびきに変わるのを聞いた。遠くで犬が吠え、松明がぱちぱちと燃える音も聞いた。
ついにシノンがそっと木馬のそばへ来て、約束の合図を送った。
板が開き、夜風が流れ込んだ。オデュッセウスがまず身を乗り出し、あたりに人がいないことを確かめた。続いて、ギリシアの勇士たちが一人また一人と木馬の腹から滑り降り、トロイアの地に足をつけた。彼らは歓声を上げなかった。ただ武器を握りしめ、暗い通りを抜けて城門へ走った。
門の閂が持ち上げられた。
重い扉が夜の中でゆっくりと開く。外の闇からは、櫂の音と足音が近づいてきた。テネドス島の陰に隠れていたギリシア艦隊が、夜に乗じて戻ってきたのである。兵士たちは船から飛び降り、かつての陣営を抜け、開かれた城門へなだれ込んだ。
トロイア最後の夜が始まった。
ギリシア人が都へ押し入ったとき、多くのトロイア人はまだ眠りの中にいた。
最初に響いたのは足音と武器の音だった。次に悲鳴が上がった。松明が屋根へ投げ込まれ、乾いた木材と垂れ幕はたちまち燃え上がった。夜風が吹くと、炎の舌は通りを伝って走り、石壁を赤く照らした。人々は家から飛び出した。剣を取る暇もない者、子どもを抱いて家族を探す者、祭壇なら救ってくれると思って神殿へ駆け込む者がいた。
メネラオスは都の中でヘレネを探した。アガメムノンの兵たちは宮殿へ向かった。オデュッセウスやディオメデスたちは兵を率いて要所を押さえた。ネオプトレモスはプリアモスの王宮へ突入した。そこにはかつて宴があり、婚礼があり、王子たちの足音があった。今そこにあるのは、炎の光、血の跡、泣き叫ぶ声だけだった。
老王プリアモスは、都が破られたのを見て、もはや逃げ場がないと悟った。彼はゼウスの祭壇のそばへ行き、老人の衣をまとって、最後に一柱の神が自分の都を見守ってくれるよう願うかのように立った。だが剣は止まらなかった。かつてトロイアを治めた王は、自らの宮殿で命を落とした。
都のいたるところで混乱が渦巻いた。
狭い路地で命を懸けて抵抗するトロイア人がいた。小門から逃れようとする者がいた。煙に巻かれて家の中で倒れる者もいた。カッサンドラは神殿から引きずり出された。彼女の言葉はついに真実となったが、もはや誰一人救うことはできなかった。ラオコーンの警告、槍が木馬を打った鈍い響き、カッサンドラの叫びは、すべてこの夜の大火に呑み込まれた。
木馬はなお都の中に立っていた。
昼、人々はそれに花冠を掛け、勝利と神の恵みのしるしと見なした。夜、それはトロイア滅亡への入り口となった。木馬は自ら走ったわけではない。自ら剣を振るったわけでもない。ただ黙って立ち、人々が自分の手で城門の内へ引き入れるのを待っていただけだった。
夜明けが近づくころ、トロイアはもはやかつてのトロイアではなかった。
宮殿は崩れ、屋根からは煙が上がり、通りには盾、杯、折れた槍、焼け焦げた梁が散らばっていた。ギリシア人はついに、十年包囲し続けた都を攻め落とした。ヘレネはギリシア人の手に戻され、多くのトロイアの女たちは捕虜となった。生き残った者たちは灰を見つめ、まるで醒めることのない悪夢を見ているかのようだった。
あのトロイアの木馬の物語は、それ以来語り継がれることになった。
人々が覚えているのは、ギリシア人の謀だけではない。勝利を信じかけた瞬間、トロイア人が警戒を解いてしまったことでもある。高い城壁は十年のあいだ刀と槍を防いだ。だが、贈り物と見なされた一本の木を防ぐことはできなかった。トロイアは、こうして一夜のうちに落ちたのである。