
ギリシア神話
アルカディアの王リュカオンは、ゼウスが人間の世に降りてきたと聞き、恐ろしい宴でもって神を試そうとした。ゼウスはその罪を見抜き、王宮を焼き払い、リュカオンを狼へ変えた。そして人間たちの悪行にも、いよいよ裁きが下されることになる。
ゼウスは人間の悪名を自分の目で確かめるため、旅人の姿でアルカディアへ下り、リュカオンの王宮に入った。だがリュカオンはその来客を試そうとし、宴席に人の肉を混ぜて差し出した。 ゼウスはすぐに見抜いて卓をひっくり返し、雷の火で宮殿を焼き払った。リュカオンは荒野へ逃げたが、やがて体は狼の姿に変わり、喉からは太い遠吠えしか出なくなった。 こうして彼の名は狼と結びつき、ゼウスが堕落した人間たちを厳しく裁く始まりとして語られるようになった。
はるかな昔、人間はすでに大地のあちこちに住み広がっていた。
彼らは畑を耕し、家を建て、車を走らせ、祭壇の前では天上の神々に牛や羊を捧げた。けれども、技を覚えたからといって、人の心までまっすぐになるとは限らない。谷間では略奪が起こり、町の門のそばでは欺きが行われ、旅人が道中でふいに姿を消すこともあった。弱い者は泣き叫んだが、正しい裁きが届くことは少なかった。
その声は、やがてオリュンポスにまで届いた。
高みの座にいたゼウスは、地上から風が運んでくる嘆きを聞いた。人間が過ちを犯すことを、彼が知らなかったわけではない。だがこのとき聞こえてくる悪名は、日ごとに重くなっていった。祭壇が血で汚されたという者がいた。宿を求めて来た客を、主人が殺したという者もいた。王でさえ神々を敬わず、罪を犯しながら、それを知恵だと思い込んでいるという噂もあった。
ゼウスは、噂だけで決めつけることを望まなかった。そこで彼は人間の姿をまとい、雲の上から降りて、山道を歩き、野を越え、町々をめぐって、自分の目で確かめることにした。埃の舞う道を行けば、奪われて空になった車の跡が残っていた。荒れた屋敷の前を通れば、主を失った炉の火がすでに消えていた。
そしてついに、ゼウスはアルカディアへ着いた。そこにはひとつの王宮があり、その主はリュカオンと呼ばれていた。
リュカオンはアルカディアの王で、山と森に囲まれた土地に住んでいた。そこには石の多い地面と樫の木が広がり、夜になると遠くで獣の吠える声が聞こえた。王宮は海辺の大都市の宮殿のように華やかではなかったが、広い広間と重い木の扉、長い宴の卓を備えていた。
ゼウスが町へ入ったとき、すでに空は暗くなりかけていた。見知らぬ旅人の姿にただならぬ威厳を感じた者たちは、声をひそめて言い合った。
「あれはただの人ではない。神がこの地へおいでになったのではないか」
民は粗略に扱うことを恐れた。ある者は手を上げて祈り、ある者は道端にひれ伏した。松明の光がゼウスの顔を照らすと、人々の畏れはいっそう深くなった。
しかしリュカオンは、それを聞いて冷たく笑っただけだった。
彼は宮殿の門の前に立ち、その見知らぬ客を眺めた。胸のうちに敬意はなく、あるのは疑いと傲慢だけだった。彼はそばにいる者たちへ言った。
「本当に神だというなら、試されても困るまい。もし神でないなら、皆があの男にひざまずくなど、笑いものではないか」
そこで彼はゼウスを王宮へ迎え入れた。表向きは大切な客をもてなすように振る舞いながら、その心にはすでに邪悪な考えが芽生えていた。
広間には火が灯され、召使いたちが酒と肉を運んできた。リュカオンは主人の席に座り、ゼウスから目を離さなかった。客の顔色から何かほころびを見つけようとしたのである。だがゼウスは、暗がりの奥に何が隠されているかをすでに知っているかのように、静かにすべてを見ていた。
それを見るほど、リュカオンはますます気に入らなかった。
彼はまず、夜のうちに客を殺そうと考えた。もしこの男が本当に神なら、刃など通るはずがない。もし神のふりをしたただの人間なら、宮殿で死んだところで誰も口を出せまい。
だが、それだけでは足りなかった。リュカオンは、もっと残酷な試みを仕掛け、いわゆる神の正体を自分の手で暴いてやろうとした。
彼は宴の用意を命じ、その陰でおぞましいことを行わせた。人の肉を切り分け、犠牲の肉に混ぜ、あるものは煮させ、あるものは焼かせ、香草と脂を添えて皿に盛らせた。本来なら客をもてなし、神を敬うための食卓が、この上なく穢れた罪によって汚されたのである。
広間では火の光が揺れ、青銅の器が暗い赤を帯びて光っていた。召使いたちはうつむき、皿の中を見ることもできなかった。けれどもリュカオンだけは何事もないふりをして杯を上げ、ゼウスに言った。
「遠くから来られた客人よ。どうぞ、この食事を召し上がれ」
その声は落ち着いていた。だが目の奥には、あからさまな挑みが潜んでいた。
ゼウスは手を伸ばさなかった。
彼は卓の上の肉を一目見、それからリュカオンを見た。その瞬間、広間の火は風に押さえつけられたように低くなり、杯の中の影さえ動きを止めた。
ゼウスは、すべてを見抜いていた。
彼は招かれた客ではなかった。人間の罪を確かめるために地上へ降りた神々の王であった。リュカオンは人を殺した手で宴を整え、穢れた食物で神を試し、その悪行を知恵だと思い上がっていた。この罪に、もはや問いただす言葉は要らなかった。待つ必要もなかった。
ゼウスは激しく食卓を覆した。
皿も杯も肉片も、すべて床へ転がり落ち、油が石の床に飛び散った。王宮の者たちは悲鳴を上げた。次の瞬間、雷霆の火が梁を照らし、まるで白昼が突然、夜の闇を裂いて入り込んだかのようだった。リュカオンの宮殿は神の怒りに打たれ、木の柱は燃え上がり、垂れ幕は炎の舌を巻き、壁に映る影は乱れ狂った。
リュカオンは、ついに恐怖を知った。
彼は席から跳ね起きた。もはや試すことも、あざ笑うこともできなかった。煙を吐く回廊を抜け、広間から飛び出し、王宮の外の荒野へ逃げた。背後では屋根が燃え、前方には暗い山林が広がっていた。彼は叫ぼうとした。召使いを呼ぼうとした。自分の宮殿を滅ぼした神を呪おうとした。
しかし、その声は変わっていた。
リュカオンが野へ駆け出したとたん、喉の奥からしわがれた遠吠えが絞り出された。
彼は恐怖にかられて下を見た。指は縮み、爪は硬く長く伸び、獣の鉤爪のようになっていた。腕は地面へ落ち、背は弓なりに盛り上がり、身につけていた衣は体に貼りつき、灰色の毛へ変わった。口は前へ突き出し、歯は鋭く尖り、唇の端から涎が滴った。
彼の目には、かつての凶暴な光がまだ残っていた。だがその目は、すでに狼の顔にはめ込まれていた。
かつて王宮で人を殺した者は、いまや山野で家畜に襲いかかるだけの獣となった。かつて人の声で神をあざけった者は、口を開けば狼の遠吠えしか出せなくなった。かつて王座に座って人々を恐れさせた者は、いまでは小さな物音にも身をひるがえし、森の奥へ逃げ込むようになった。
のちに人々がリュカオンのことを語るとき、彼はまったく別のものに変えられたのではない、と言った。心の中の残忍さは、もともと狼のようだった。ゼウスはただ、その内側にあったものを外の姿にも現しただけなのだ、と。
リュカオンの王宮は、黒く焼け焦げた廃墟になった。折れた梁が地面に横たわり、石段には酒と血の汚れが残っていた。民は遠くに立ち、近づこうとはしなかった。彼らには分かっていた。それはただの火事ではない。神の裁きが王家に下ったのだ。
リュカオンの一族については、別の伝承もある。彼の息子たちもまた同じように神を侮る罪を犯し、ゼウスは雷霆を落として彼らを罰した。ただ、ごくわずかな者だけが死を免れたという。いずれの語り方であっても、結末は同じだった。アルカディアの王宮は罪のために倒れ、リュカオンの名は、それ以来、狼と結びついて語られるようになった。
ゼウスが高きところへ戻っても、その怒りは鎮まらなかった。
彼は自分の目で見たのである。人間たちの腐敗は、ただの噂ではなかった。王の広間でさえ、あのような宴が出される。祭壇の掟も、客を迎える掟も、あれほど踏みにじられている。ならば大地に満ちた罪は、もはや洗い清められねばならないほど深いところまで達していた。
こうしてリュカオンの物語は、一人の王が罰を受けた話にとどまらなくなった。それは、その時代の人間たちが裁かれ始める合図でもあった。人々は、覆された食卓を覚えていた。燃え上がる王宮を覚えていた。そして荒野へ逃げていった狼の遠吠えを覚えていた。
夜、山の奥から狼の声が聞こえるたび、老人たちはこう言ったという。
あれはリュカオンの影だ。今もまだ、闇の中を走り続けているのだ、と。